※本記事は、過去に株式会社マーキュリアインベストメントの
コーポレートサイトへ掲載された記事であり、掲載内容は作成時点のものです。

当社が運営するマーキュリア日本産業成長支援投資事業有限責任組合は、昨年(2017年)、
株式会社ツノダの株式公開買い付け(TOB)を行いました。
今回はツノダの創業家で前社長の角田重夫氏にTOBによる事業承継という
貴重な経験についてお話しいただきました。

第三回「つんつんツノダのテーユー(T.U)号」で有名なツノダの事業承継 創業家3代目の角田氏と語る

豊島 本日はツノダ前社長の角田重夫さんにお越し頂き、社長就任からTOB(株式公開買い付け)という形で事業承継を決断するに至った経緯についてお聞かせ頂きたいと思います。ツノダと言えば、テーユー号。私どもの幼少期には、誰もが憧れる自転車でしたが、その会社と投資運用業を通じて接点を持つことになり、非常に感慨深いものがあります。

 現在、事業承継というものが、非常に注目されていて、そういう中で悩まれている経営者も沢山いらっしゃいます。この対談を通じて、角田さんの貴重なご経験を、シェアしていただきたいと思います。

思いもかけなかった社長就任

豊島 角田さんは社長に就任する直前は、ご同業である米国シマノの営業の第一線で活躍されていたわけです。そんな中で、ツノダ2代目社長の重信氏が病に倒れ、1986年に急遽、呼び戻され7年後には後継社長になられました。

角田 私は次男だったため、ツノダの社長によもや就任するとは考えてもおりませんでした。当時はシマノ創業家の島野喜三氏の下、米国シマノで営業に従事し、何とかこの道で生計を立てていけると考え始めた時でしたから、まさに青天の霹靂でしたね。

豊島 角田さんは、ツノダの創業家3代目社長となったわけですが、創業家に生まれて会社を継ぐというのは我々、一般人からするとうらやましいというイメージもあります。しかし、角田さんの場合は後継者となることは元々イメージされてこなかったと?

角田 私は兄弟の末っ子でしたから、長姉が婿をとって経営に当たるか、すぐ上の兄が後継者となるのを既定路線と考えておりました。ところが父が倒れ、姉も兄も後は継がないというものですから私にお鉢が回ってきたようです。この決定は、父やツノダの従業員にとっても意外だったと思いますが、他の親族が引き受けなかったので、決断した時点では経営を引き継ぐ事へのプレッシャーは、あまり感じておりませんでした。

 ところが、今となっては笑い話ですが、父の葬儀直後にメインバンクから呼び出され普段通されない奥の部屋で、ある書類にサインを依頼されました。書類には数字が沢山並んでいました。40数億円に上る会社の借入金に対する個人保証を迫られたというわけです。弔慰みたいな事で呼ばれたと考えていましたから、保証額の多さには驚かされました。兄弟が事業を承継しないのであれば、私が乗り出すしかないという思いが強くて、後継を引き受けたのですが、恥ずかしながら巨額の借入金をはじめ、経営の悪化については、ほとんど把握しておりませんでした。

自転車事業の転換と不動産事業の再編

豊島 当時、金融機関は創業家社長の個人保証を当たり前に求めていましたからね。サインするには、相当な覚悟が必要でしたね。勝算はあったのでしょうか。

角田 国内の業績は落ちる一方でしたが、米国シマノにいた関係で、海外の自転車メーカーの現状、あるいは部品メーカーの状況を目の当たりにする機会がありましたので、自転車は海外OEMを推進しファブレス化するとともに、ブランドマネジメントに徹することで漠然としながらも何とかいけるのではないかと考えていました。事業方針の方向性は間違ってはいないと考えていましたが、元々がモノ作りの会社です。古参の従業員に対する説明、言い方にも問題があったのでしょう。軋轢はありました。この事業方針が彼らの人生を否定してしまうように受け止められてしまったため、社内では孤立してしまいました。

豊島 やはり古参の従業員への説明は、同族でも外部からの招聘であっても慎重さが求められます。しかし、債務は巨額、製造を続けても赤字が継続するのですから、なんらかの転換を図らざるを得なかった訳ですね。角田さんは困難な状況をどのように打開されたのですか。

第三回「つんつんツノダのテーユー(T.U)号」で有名なツノダの事業承継 創業家3代目の角田氏と語る

角田 ここでも私の人生の師でもある株式会社シマノの社長(当時)の島野尚三氏にアドバイスを求めました。まずやらなければいけないことは、社内掌握以上に株主への説明責任を優先せよとのことでした。当時のツノダは遊休地の保有等、資産が多い反面、売り上げは危機的状況にありました。また、バブル時に行った不動産投資も立地が悪く困難な状況にありました。島野社長からは、遊休地の売却によって資産を圧縮し、そこで得たキャッシュを債務返済に充てよとの指南を受けました。社内の混乱の収拾よりも、ツノダの再建策を株主に説明し、同意を得ることに努めるのが先決だとおっしゃられました。それを銀行もサポートしてくれ、愚直に達成してゆくことで株主はもちろん、社内の混乱も収まりました。具体的には全国にあったツノダ自転車の販売拠点を一つ一つ売却してゆきました。しかし、落ち目の自転車メーカーの販売拠点です。立地もよくないことも手伝い、不動産業者にもかなり買いたたかれました。売却には複雑な思いがありましたね。ただ、そのお陰で不動産売買のポイントを学ばせていただきました。

豊島 角田さんがおっしゃる通り、中国、台湾メーカーといった自転車分野の新興勢力の台頭もある中で、ツノダは生産拠点を海外に移すなどブランドマネジメントに徹しました。その一方で、先代から受け継ぎ、経営の足かせになっていた不動産部門の改善と遊休化した資産の活用に注力されたということですね。

角田 詳しく説明させていただくと、自転車のブランディングと企画に集中して、製造からは撤退いたしました。また、賃貸マンションが主力となっていた不動産部門ですが、実はスタート時の平成元年当時は、供給不足の時期でしたから建設すれば入居を確保できるという完全な売り手市場で収益源になっていたのです。しかし、私が受け継いだ頃には、バブル経済の崩壊に加え、老朽化や立地の悪さも手伝い賃料を下げても空室が埋まらない状況になっていました。これらの稼働を賃貸不動産の師である浦田健氏(㈱FPコミュニケーションズ 代表取締役)のアドバイスにより改善してゆきました。また、閉鎖した工場跡地を不動産有効活用の師である辛島秀夫氏(㈱ザイマックス 取締役副社長)のアドバイスにより再開発して商業施設に転換いたしました。お師匠様に恵まれたお陰です。

豊島 私共がTOBの話を伺った2017年頃には、借入金はさほど無かったと記憶していますが、完済されたのはいつごろでしたか。

角田 無借金経営になったのは、2010年くらいですね。実は不動産の整理を推進しつつ、父の代に発行していたシンジケート私募債の返済にも追われていました。当時の市中金利は4%くらいでしたが、バブル時に発行した私募債だったため金利は8%以上ありました。早期に返済したかったのですが、金融機関としても貴重な収入源ですから、すんなりと受け入れてもらえませんでした。方策を模索する中で、「私募債の買い入れ消却」というスキームに行きつき何とか返済できました。

株主と経営

豊島 本業が厳しいところをスリム化し、遊休資産を有効活用し、会社の財務を立て直していく。経営者としてはまさに株主のために、事業環境的にも不動産サイクル的にも厳しいところを上手く乗り切ってこられたと思います。
 一方で、自転車という本業がなくなったことで、株主との距離感というものが、変わってきたと以前、お聞きしました。

自転車

角田 自転車というカテゴリーが完全に消滅したのではなく、ポートフォリオを縮小させたのですが、そうなると特に父との関係の中で、株主になって頂いていた自転車販売店との関係が希薄になっていったように思います。直接聞いたわけではありませんが、ツノダの創業家3代目では自転車業は復活できないだろうと離れていかれたのだと思います。取引先や自転車事業に理解を示し、ツノダに親しみを感じていた株主の方々が離れて行かれたように思います。

豊島 実はこのお話、御社の生き様というか方向性は、我々にとっても大変参考になっています。
 上場会社は事業・決算の内容をいかに理解していただくかということが重要なのですが、すべてを理解していただける株主はそれ程多くないと実感しております。
 果たして良い経営とは何であるのか。利益が上がれば高配当が期待できるのでうれしいという思いもあるのでしょうが、金勘定以外にも、「この会社は果たして何をしているのだろう」ということに株主は関心を持ち、共感するのだと思うのです。
 弊社の業務は投資マネジメントでお金儲けの仕事だと思ってらっしゃる方も多い。お金を稼げる事は上場会社としての大前提ですが、我々が株主や投資家から預かった資金でどういう投資をしているのか、また、どういう事業が伸びていくと考えているのか、そういったイメージが、株主さんにもっと伝わらないと、我々の事業に対する思いも伝わらないのだと感じます。名古屋で角田さんのお話を聞いて、私も気付かされたと思って感謝しています。

角田 そう言っていただくと大変うれしいですね。TOB実施のパートナーになって頂いたことに改めて感謝いたします。

TOBによる事業承継へ

第三回「つんつんツノダのテーユー(T.U)号」で有名なツノダの事業承継 創業家3代目の角田氏と語る

豊島 角田さんが苦労を重ねたことで、財務も健全化しました。しかし、生業であった自転車分野における新興勢力の台頭等で、この分野での将来像は期待できないとの判断もあり、いろんな葛藤を経て、最終的にはTOBによる事業承継を決断されたわけですね。

角田 1つ申し上げたいのは、非公開化ありきではなかったということです。優先して考えたのは、自分たちの力では、これ以上、ツノダという会社の企業価値を上げるのは限界であったということです。もう1つ申し上げれば、私自身が後継者を育てることができなかった。この2つの理由から最終的な選択肢として、第三者に経営のバトンを渡していこうと決めたのです。結果的にそれが、TOBになっていくわけですが、先にあったのは、あくまでも会社売却ではなく、経営を任せる後継者へのバトンタッチです。

豊島 アドバイザリー会社が間に入り、数社が入札に応募したわけですが、アドバイザーから、プロジェクトネームが「ターミネーター」と告げられ、私どもの社内でもどよめきました。このプロジェクトネームは、角田さんが自ら考えられたそうですね。

角田 実は「ターミネーター」という映画が好きで語源を調べたことがありました。ターミナルという言葉は終着駅という意味合いもあるのですが、もう1つ、始発駅という意味合いもあるということがわかりました。すなわちあの映画も、ターミネーターは人類を滅ぼそうしていたのですが、その一体が人類の新しい道を創り出す救世主に変わっていった訳です。
 成長が限界に陥った会社を、単に終わらせるのではなく、バトンを第三者に渡しながら、その会社にツノダという会社をさらに伸ばすことを託したい。そういう意味合いで「ターミネートプロジェクト」と名付けたのです。

豊島 確かにターミナルというのは、終着でもあり始発でもあり分岐点でもあると言うことで言いますと、私どもとしても引き継がせていただき、ツノダの事業を責任持って次のステージに持って行きたいと考えております。

成功裏に終わったTOBと、その未来

豊島 ところで、多数の応募があった中で、弊社をパートナーに選んで頂いた要因は何だったのでしょう。

角田 当初は想定以上に応募があり驚きました。皆様からは、いろいろなご提案を頂き甲乙つけがたいものであり、正直悩みました。そういう中で、御社にお願いしたのは、単に値段だけではなくて、企業価値向上のプラン及び提案内容を総合的に検討させていただいた結果です。

豊島 手前勝手ですが、わたくしどもが上場会社であったことも1つのファクターになっていたのではないでしょうか。上場をしていると経営もガラス張りですから、過去の実績等も参考になったのではないですか。

角田 それもありますね。正直に申し上げますと、しっかり調べさせていただきました。ファンドさんとはこれまで付き合いもありませんでしたし、不安もありました。ところが、御社は上場されていたものですから、色々な情報が公開されていました。また、評判についても様々なチャネルでヒアリングしました。それらの情報を拠り所に、御社の考え方も見えてきました。それが結果的に安心感に繋がったのです。

豊島 私たちの事業理念は「全ては事業のために」です。事業を中心に据える事を常に心がけて活動してきました。そういう意味では、今回、我々は、ツノダという会社の事業をオーナー経営者でもある角田さんから、しっかりと事業として引き継ぎました。幸い主要な従業員の方も残ってくださいましたし、角田さんにも引き続き顧問として適切なアドバイスをいただきたいと思っています。90年以上に渡って続けられてきた事業ですから、私どもとしても今後の道筋をつけられるように、努力したいと思います。

 世の中では、同じように承継の悩みを持っている方が多くいると思います。角田さんは自ら事業承継というプロセスを経てきたわけですが、一般論でも構いませんが、何かアドバイスはありますか。

第三回「つんつんツノダのテーユー(T.U)号」で有名なツノダの事業承継 創業家3代目の角田氏と語る

角田 会社経営の中では、後継者の育成というのが非常に大事なポイントであると常に考えて頂きたいですね。大企業は別でしょうが、中小企業、また上場企業であっても私どものような中小企業は、社員の中から後継者を選ぶのは非常に難しいのではないかと思います。また、選択肢として社外にいる親族というものもありますが、経営に向いているかどうかは分かりませんし、個々人の都合で固辞される可能性も考えておく必要があると思うのです。ですから、身近に適切な後継者がいない場合には選択肢の中にプライベートエクイティファンドも、検討するべきだと思います。プライベートエクイティファンドを活用する事によってM&A、上場企業であればTOB等、を活用して承継の選択肢が広がります。

 私自身にとっても非常に難しいプロジェクトだったのですが、結果的に全てのステークホルダーさんにも納得いただけました。御社には、大変、有意義なご提案を頂き感謝しております。今回のプロジェクトでは、非常に良いチームに恵まれましたし、何よりも最善な買い手先に恵まれて本当に良かったと思っています。

豊島 今回のTOBは92%という非常に高い応募率でした。そういう意味では少数株主も含めて、経営者として大部分の株主の納得を得た決断をされたと思います。
 90年以上に渡って続けられてきた事業ですから、大切なものは次のステージにもっていけるように私どもも努力したいと考えております。最後にターミナルは出発点と先ほどおしゃっていた角田さんご自身がこの先に何をお考えなのかお聞かせ下さい。

角田 ここからのチャンレジになると、今の私ではもっと学ばなければいけない事が沢山あります。お恥ずかしい話ですが、同族承継の経験を通じて、自分の知識の不足を実感しました。海外では、ファミリービジネスのマネジメント等も専門分野として大学で研究されています。そのアメリカの経営大学院で勉強をしなおしたいと思っています。

第三回「つんつんツノダのテーユー(T.U)号」で有名なツノダの事業承継 創業家3代目の角田氏と語る

豊島 素晴らしいと思いますし、角田さんはまだまだお若いので、この次にびっくりするような新しいビジネスを興されるのではないかと楽しみにしております。今回、せっかくこのようなご縁を持たせて頂いたので、今後ともご相談できる関係を続けたいと思います。本日はお忙しいところありがとうございました。〆

余談:Dr.スランプのキャラクターのモデルとなったつんつんツノダのテーユー(T.U)号

豊島 実はツノダ自転車の事を色々とネットで調べようとすると、Dr.スランプに摘 詰角田野廷遊豪(つん つんつのだのていゆうごう)という独自のキャラクターが出て来るのですね。

角田 はい、武術家の奥さん役で登場します。当時は作者の鳥山さんが名古屋在住でしたので、ツノダの事をご存知だったのでしょう。著作権の許諾を取らなくてはいけないという事でお電話を頂きました。こちらとしては、「Dr.スランプ」に使って頂けるなんてそんな光栄な事はないので、ぜひぜひと伝えました。あとから、鳥山さんのサイン色紙を頂きました。

豊島 それは宝物になりましたね。

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